東京大学卒の方といえば、官僚や起業家、大手企業勤務、また学術研究分野でご活躍されているイメージがあると思います。
ライター勉強会コミュニティ「SP-ACE」主宰のとうせななみさんもまた、東大卒で一部上場企業にお勤めでいらっしゃいます。しかし、これまでに転職を繰り返し、副業でライターをしながらWebライター勉強会コミュニティSP-ACEを立ち上げたという異色の経歴をお持ちです。
なぜ彼女は今、副業でWebライターをしているのか。そして、なぜWebライター勉強会SP-ACEを立ち上げたのか。SP-ACE受講生のライターゆかいが、大学時代から現在までの異色の経歴を伺いました。
ライター勉強会コミュニティSP-ACEの主宰・講師。
東京大学文学部卒。大学卒業後ゲーム企業にて企画・運営に携わり、現在は東証一部上場のIT企業にてアプリ運営・ディレクションを行うプロダクトマネージャーとして勤務。
一方で、経済メディアにてライターとしても活動中。企業診断を行う「ブラック企業アラート」、Webサイト構築・業務改善コンサルティングなど幅広く請け負う。
“興味を持つフック”が広がった東大ライフ
「東大生」と聞くと「ガリ勉」というイメージがありますが……実際のところ、とうせさんは勉強ばかりされていたのでしょうか?
勘違いされやすい部分かもしれませんが、ガリ勉して東大に入る人はそんなにいないと思います。私も勉強はしましたけど、ガリ勉という自己認識はありません。
周りも、勉強もそれなりにしていたけど普通に遊びますっていう人たちが多かったですよ。
出身高校の話をすると、自由な高校生活を自慢する雰囲気がありました。コミュニケーション能力とか友達を作る能力とかも人によって差があるんですよね。勉強しかしてこなかった人だと、これを乗り切るのが結構しんどい(笑)ガリ勉で学部の雰囲気に馴染めず一人寂しく学食にいたり、いつの間にか見かけなくなった人もいました。
それは意外です……!
とうせさんは、なぜ東大の文学部を選ばれたのですか?
「東大特有の入試システム」が理由になりますかね。
東大の場合、入口の学部と出口が違うんです。大学入試の段階では文科一類・二類・三類と、理科一類・二類・三類に募集が分かれています。
最初の2年間は文一、文二などで教養課程を学び、2年生の夏ごろ進学先が決まるんです。この時に、どの学部に進学したいのか希望を出すのですが、希望の受け入れ先に入るには1年生の時にそれなりの成績をとっておくことが必要でして……。
私の場合、あまり勉強しなかったこともあり、文学部の中で入れそうな進学先を選びました。
なるほど……!
最初の2年間で教養を学んだメリットはお感じですか?
興味を持てる範囲が広がったとは思っています。
誰でも自分とまったく関係性がない事柄には興味を持ちにくいと思いますが、私は教養課程で広く学んだ結果、どんな事柄にも何かしら関係性を見いだせるようになりました。手を出すジャンルにこだわりがないように見えるのも、そういう背景が影響していると思います。
「興味を持てる範囲が広がった」というのは、お仕事に関してもですか?
そうですね!興味を持とうと思えば持てるので、仕事でも相手からニーズがあって「これとこれを変えないといけないんだけどやってくれよ」って言われたら「じゃあ、やりますか!」ってなります。
SP-ACEの受講生さんにアドバイスするときも、ジャンルを絞ることをおすすめしていません。だって、何があたるか分からないですからね。自分がやりたいって思うことと、相手のニーズがすんごいズレていることも多いですし。
大学で知識や教養をつけたことが、物事への取り組む姿勢を変え、今のとうせさんのベースになっているのですね!
とうせさんはどんな東大生だったのでしょうか?
うーん……一言でいうと「大学受験で燃え尽きて自分探ししてる大学生」でしょうか?!
大学生活のイメージが湧かなかったこともあり「やれることに挑戦しよう」と思いました。勉強はそれなりにしてきたので、大学でも勉強を頑張ろうという気持ちが失せたこともあります。そのため、いい成績をとることから積極的に逃げたんです。
語学の授業では、よく寝坊して行けないこともありました。朝起きてやる気が出ない日にも普通に休んでましたよ。「あれ、またとうせがいない」みたいな。さすがに、試験に遅れかけたときは全力ダッシュで登校しましたが(笑)
それでも、東大って教養課程のクラスのつながりがけっこう深くなるんですよ。1年のときの同級生とは今でも仲がいいです。大体、誰かが結婚式するタイミングで集まりますね。
ご卒業から10年ですよね!とても素敵な関係ですね!
3年生の進級先ではどちらのクラスを専攻されたのですか?
美学芸術学研究室です。
学生も教授もとても仲がいい研究室でした。みんなで温泉旅行に行ったぐらいです。指導教官も学生も、みんなでお酒を飲んでよっぱらって語り合うような雰囲気でした。
サークルには入りましたか?
はい、小冊子を作るサークルに入ったのですが、後頭部に500円玉のくらいのハゲができてしまったことがあります。
同学年の人たちと合わなかったんですよね……。と言うのも、私は自分なりに面白い小冊子を作りたいと思っていましたが、同級生は大学に居場所が欲しいタイプの人が多かったんです。とりあえず顔を出して、それらしい活動をしていればいいという人たちでした。
でも、私はイラストレーターやDTPソフトでデザインもできるので、頑張りすぎてしまって……。よく深夜まで作業して終電逃しちゃって、サークルの部屋の三段ベッドで寝ましたね。同級生からすれば理解できないやつだったと思います(笑)
結局そのサークルは2年生ぐらいで辞めて、他の大学の服飾サークルの扉をたたきました。
なぜ他の大学のサークルに?
昔から洋裁や手芸が好きで「本気で服を作ってみよう」と思ったことがきっかけです。探したのですが、東大の服飾サークルは私には合わないと感じました。服を作りたいだけなのに「脱構築は?」など文学過ぎる解釈が入るので「服にそんなものあるか!」と反発してしまって(笑)
他大学の服飾サークルは、制作した服でショーをする点が魅力的でした。デザイナーの手伝いで服を縫ったり、フライヤーを作ったりもしました。
研究者?就職?東大卒業後に選んだ道
大学時代は、勉強のみならず、様々なことを経験されたのですね!
東大卒業後、とうせさんはどのような道に進まれたのでしょうか?
東大生の中には卒業後に研究者、官僚など社会のエリートコースに行く人もいますが、結構ピンキリです。私が卒業した2011年の場合、同級生の大半は就職していましたね。私自身は美学芸術学研究室で刺激を受けて研究職に興味を持ったこともありましたが、結局、就職しました。
研究者の世界は、10年間取り組んでやっと芽が出るか出ないかわかるような世界だからです。
「芽が出る」というのは……?
具体的には、非常勤講師ではなく、大学の助教授などの常勤で入ることです。ところが、美学芸術学を学問として扱う大学はとても限られています。研究者は、地方の大学も視野に入れていかなければならないため、東京にずっといることはほぼ叶いません。
実際、研究室の指導教官を見ても、他の教育機関を巡りながら研究を続けた後、東大に戻ってきた人たちが多いです。ポストがあれば日本全国どこでも行く覚悟がないと、文学部の研究者はできないんですよね。
とうせさんは、研究したいものがあったのでしょうか?
それが……私にはなかったんです。解き明かしたいものがあれば、そこに向かって頑張れたと思います。
実は私の父が医学部の研究者なのですが、35歳ほどで教授になり、48歳で医学部長になりました。父が研究者として出世が早い例ってことを知っていたこともあり、私自身に十分に研究したいものがない事実を考えたとき「やめておこう」と思ったんです。私は働いたほうがいいなって。
文学部の研究者の場合、語学ができないといけないのですが……私、語学が苦手ですし。TOEICは510点です。
またまた!昔のスコアなんじゃないですか?!
いや……ノー勉ですが直近のスコアです。
何も考えずにルールに頭を詰め込むのが苦手な人間なもので、語学に向いていないんですよ。東大卒でTOEIC510ってギャグですよね?(笑)
転職3回!ブラック企業からホワイト企業へ
とうせさんは、これまで3度、転職されているとか。
新卒で入った会社を選んだ決め手はなんだったのでしょうか?
決め手は「個性的な大人が多かったこと」でしょうか。
実は当時、他に初任給が6万円高い会社に内定一歩手前まで進んでいました。でも、当時は「初任給が6万高い」よりも「変な、自由そうな、私がなりたい大人が多そう」という謎の優先度で選んでしまったんですよね(笑)初任給のありがたみが分かる今なら絶対取らない選択肢だと思います。
その後、3回の転職に踏み切った理由はなんだったのでしょう?
簡単に言うと「飽きっぽさ」が理由になると思います。
同じ環境で2年ほど過ごすと、どこの会社でも一定以上の成果を出せるようになりました。最初はトイレで泣くほどつらい思いをしていても、最終的には部署トップの売上を稼ぎ出せるようになるんです。そのうちに仕事自体が面白くなくなってしまい、「もうこの場所で学べることはないな」と興味を失ってしまうんですね。
それは「飽きっぽい」というより上昇志向が強いということなのではないでしょうか……?
2社目以降も同じような理由で転職されたのですか?
2社目に転職先を決めたきっかけは「社長のキャラがとても濃く、印象的だった」ことです。頭の回転も早くテンションも高い社長だったので、社内の士気もすごい職場でした。その分人間的に鍛えられて、いろいろと思い入れの強い会社になりました。
次の転職は、2社目が吸収合併される直前に引き抜きのお話をいただいたことがきっかけです。でも、3社目も結局倒産寸前になったことがきっかけで転職することになりました。この時は、転職エージェントに「この会社どう?」と言われて今の会社を薦められたんです。
縁があるときはあるもので、今の会社の「絶対通らない」と噂される面接もトントン拍子で通過して採用されました。それで結局、5年4か月勤めています。他の会社にいた通算期間よりも長くなって最長在籍記録です。
1つの会社を長く続けられている理由は、社内で部署異動や体制変更・職務の変更機会が多かったからかなと思います。2年くらいのタイミングで社内で役割を変えられたことが良かったのかもしれません。
何足もの草鞋を履くとうせさんの「今」
なぜ「副業ライター」としても活動を始められたのでしょうか?
副業も私の中では「職務変更」の一環なんですよ。
今の会社もだんだん慣れてきて「飽きた」頃がありました。それで、平日夜や休日にいろいろとできることを試していたら、メディアから声をかけられて記事を執筆する流れになりました。商業ライターとしては2年くらいですね。
とうせさんは、ライター勉強会コミュニティ「SP-ACE」の主宰でもあるんですよね。具体的にはどのような活動をされているのでしょうか?
講座やラジオの収録、受講者さんの質問に対する回答やコメントと個別相談にも対応しています。
新規会員さんの入会時サポートも私が行っています。あとは、会員名簿と集客スケジュール管理など裏方としての管理業務全般です。
「SP-ACE」を立ち上げた契機はどんなところにあったのでしょうか?
ライターコミュニティを始めるための好条件が揃ったことがきっかけです。
講師の亀梨奈美さんと芦田おさむしさんも、ご自分が培ってきたことをライターさんに教える仕組みが欲しいと思っていたところで、私はサービスの構築が本業ということもあり、自分で仕切れる自信がありました。
周りにライターサロンは多いですが、現役のライターやディレクターが手厚く教えて面倒も見てくれるコミュニティがあまりなかったんですよね。SP-ACEの講師の質が高いという確信もありました。
サービスを始める時は何かしら足りないということのほうが多いものですが、SP-ACEの場合ほとんどの要素がうまく揃ったので「これは始めるしかないな」と思いました。
インタビュー後半は近日公開予定!
お楽しみに!
東大卒のライター講師に学んだ「興味範囲を広く持つ大切さ」
大手IT企業に勤務しながら、副業ライターやライター講師として超多忙な毎日を送るとうせさん。
とうせさんが東大時代から変わらないことは、深い教養を元に培われた「興味範囲を広く持つ」姿勢であると感じました。何にでも関心を持つ下地があるため、お仕事を柔軟に、かつ効率的にこなされています。
とうせななみさんが主宰のライター勉強会コミュニティ「SP-ACE」では、ライターに役立つさまざまな講座やラジオを配信し、お悩み相談も行っています。私も参加していますが、 お悩みをかかえるライターに対して手厚く面倒をみてくれる熱いコミュニティだと感じています。ご興味をお持ちの方はぜひこちらもご参照ください。